NBAファンブログ 

NBAファン歴14年。NBA情報や選手について語ります。

NBA情報(9/3)



○ダニロ・ガリナリ→ボストン・セルティックスに移籍したガリナリが左膝の前十字靭帯断裂により離脱。来期全休の可能性あり

→ボストンはガリナリ離脱でFAのカーメロ・アンソニーに興味ありの噂。


○ゲイリー・ハリス→オーランド・マジックのハリスが左膝の半月板の手術を受けた


○RJ・バレット→ニューヨーク・ニックスと4年1億2000万ドルで延長契約合意。🤝


○ダーク・ノビツキー→ドイツ代表の永久欠番に👏


○ステフィン・カリー→東京の天王洲アイルにバスケ・コートオープン👏


○ステフィン・カリー→デビットソン大学を卒業。「私と家族にとって素晴らしい日です」👏

選手名鑑

名前 : スティーブ・フランシス(Steve Francis)
所属 : ヒューストン・ロケッツ(1999-2004)、オーランド・マジック(2004-06)、ニューヨーク・ニックス(2006-07)、ヒューストン・ロケッツ(2007-2010)
出生地 : アメリカ メリーランド州タコマパーク
生年月日 : 1977年2月21日
身長 : 191cm
体重 : 91kg
ドラフト : 1999年1巡目2位
愛称 : スティービー・フランチャイズ
ポジション : ポイントガード・シューティングガード
受賞歴 : ・NBAオールスターチーム(2002,2003,2004)
    ・新人王(2000)
    ・NBAオールルーキーファーストチーム(2000)



【大学〜ドラフト】
ジュニアカレッジ(短大)で2年間プレイした後、メリーランド大学に転校する。高い運動能力とスキルから、アレン・アイバーソンと比較され注目を集めた。アーリーエントリーした1999年ドラフト1巡目2位でバンクーバー・グリズリーズに指名される。
しかし、故郷からの距離、税金、神の意志などに言及して入団を拒否した。当時、カナダだけでなくアメリカからも相当批判されたが、後に彼は「カナダの人がまだ俺を怒っているのは知っているが、大して悪かったと思っていない。バンクーバーから指名されたとき、俺は泣きかけた。カナダはあり得なかった」と語っている。
ヒューストン・ロケッツにトレードされた彼は問題児のレッテル貼られながらロケッツでキャリアをスタートさせる。



【ロケッツ〜オールスターへ】
当時のロケッツは殿堂入り選手のアキーム・オラジュワンとチャールズ・バークレー2人がいました。しかし、年齢的に引退間近の2人は怪我がちで、試合でのインパクトも欠けており、チームはプレイオフを逃します。しかし、フランシス自身は平均18得点、5.3リバウンド、6.6アシストで新人王に輝きます。(当時、シカゴ・ブルズのエルトン・ブランドと同時受賞でした。)
2000年オールスターの伝説のスラムダンクコンテストにも参加しており、アクロバティックなダンクを披露している。(※優勝はビンス・カーター)


その後、相棒のカティーノ・モーブリーとロケッツを牽引していく。フランシスはロケッツ在籍期間、平均19.3得点、6.4リバウンド、6.1アシストを残し、2002年から3年連続オールスターにも選出される。




ロケッツも2002年ドラフト1位指名されたヤオ・ミンも加えてプレイオフへと駒を進め、未来が明るいように見えた。しかし、コーチのジェフ・バンガンディと関係が悪化し、オーランド・マジックにトレードされる。




Steve Francis And Cuttino Mobley Combined For 73 Points VS Lakers (2003.01.17).






【マジック〜ニックス〜ロケッツ】
モブリーとともにトレイシー・マグレディーと大型トレードで移籍したマジック。マジックではグラント・ヒル、新人のドワイト・ハワードと戦力は揃っていたがプレーオフを逃す。フランシス自身は平均21.3得点、5.8リバウンド、7アシストと優秀な成績を残した。しかし、2年目のシーズンは低迷する。フランシス自身も出場停止処分を受け、不本意なシーズンを送る。




そんな中、ニューヨーク・ニックスへトレードされる。当時のニックスには、フランシスと同じ、超攻撃的ポイントガードのステファン・マーブリーが在籍しており、フランシスとのバックコートコンビに期待された。しかし、全く機能しなかった。ニックスのコーチは名称ラリー・ブラウンだったが2人の共存の解決策を見出せず、チームはディビジョン最下位。フランシスも平均10.8得点、3.0リバウンド、3.5アシストと大きく成績を落としてしまう。翌シーズンもニックスはプレイオフを逃し、フランシスも活躍できなかった。




その後、2007-08シーズンにロケッツに復帰するものの全盛期を過ぎたフランシスは10試合の出場に留まり、平均5.5得点、2.3リバウンド、3アシストだった。このシーズンでNBAで最後のプレーとなり、中国リーグで少しプレーをし引退した。




Steve Francis' game-winning 3-Pointer !!!






フランシスは勝てないポイントガードの典型として、よく話題に出るが、プレーは華があり、本当にかっこよかった。キレ味鋭いクロスオーバーと豪快なダンク。今のプレイヤーだとジャ・モラントに近い。(モラントよりかなり素行に問題があるが、、、)
プレーは一級品だったが、自己中心的な言動やプレーが勝利を遠ざけてしまった。
フランシスがトレードされずロケッツに残っていれば、、、
ニックスのフロントがマーブリーを放出し、フランシス中心のチーム作りをしていたら、、、
彼のキャリアは変わっていたかも知らない。

選手名鑑

名前 : アンドレ・イグダラ(Andre・ Iguodala)
所属 : フィラデルフィア・シクサーズ(2004-12)、デンバー・ナゲッツ(2012-13)、ゴールデンステート・ウォリアーズ(2013-19)、メンフィス・グリズリーズ(2019-20)、マイアミ・ヒート(2020-21)、ゴールデンステート・ウォリアーズ(2021-22)
出生地 : アメリカ イリノイ州スプリングフィールド
生年月日 : 1984年1月28日
身長 : 198㎝
体重 : 97㎏
ドラフト : 2004年ドラフト1巡目9位
愛称 : Iggy
ポジション : スモールフォワード
受賞歴 : ・NBAチャンピオン(2015,2017,2018,2022)
              ・NBAファイナルMVP(2015)
    ・NBAオールスター(2012)
    ・NBAオールディフェンシブファーストチーム(2014)
    ・NBAオールディフェンシブセカンドチーム(2011)
    ・NBAオールルーキーファーストチーム(2005)
              ・NBAルーキーチャレンジMVP(2005)



【生い立ち】
イリノイ州スプリングフィールドで育つ。ナイジェリア人の移民の子である。高校生になるまでは陸上競技をしており、かなりの実力だったそう。後にウォリアーズでチームメイトになるショーン・リビングストンとは同じ地区で育ち、別の学校だったものの試合で顔を合わせる仲だったそうだ。高校3年生の時にチームを州の優勝に導いている。その後、名門アリゾナ大学に進学する。




【大学】
当時、アリゾナ大ではルーク・ウォルトンが大活躍しており、彼のIQの高いプレーがイグダラに影響を与えている。また、学生時代はエースとしてプレーする事がなくイグダラ自身も得点を取る事よりも多彩に試合に貢献する方が自分に合っていたという。幼少期の彼はイリノイ州出身で、シカゴ・ブルズ全盛期の真っ只中だったが、マイケル・ジョーダンよりスコッティ・ピッペンを見てプレイを学んだそうだ。



【NBAドラフト〜シクサーズ】
2004年ドラフトでシクサーズから1巡目全体9位で指名を受ける。当時のシクサーズにはアレン・アイバーソンがいた。ルーキーシーズン途中にクリス・ウェバーも加入し、タレント揃いのチームだったが、その中でイグダラは1試合平均9得点、5.7リバウンド。高い身体能力を活かしたダンクとディフェンスでも存在感を出し、シクサーズに欠かせない選手になっていく。ファンもネクストA Iと彼を呼び始め、それに見合うようにイグダラも成績を伸ばしていった。ルーキーシーズンはオールルーキーファーストチームに選出。2年目にはルーキーオールスターに2年目チームとして選出されMVPを獲得する。その年のスラムダンクコンテストでは優勝こそ逃すものの高い身体能力を活かして、観客を盛り上げた。




2006-07シーズン途中にアイバーソンがデンバー・ナゲッツに移籍。彼自身キャリアで初めてチームのエースになった。その年、平均得点18.2得点、5.7アシストと活躍。2008年には6年8000万ドルという大型契約を結び、チームもオールスターのエルトン・ブランドを迎えてイースタンカンファレンス強豪へと名乗りをあげていく。
2012年にはオールスターにも選ばれている。




【ナゲッツ〜ウォリアーズ】
オールスターに選ばれたオフシーズン。ロンドンオリンピックアメリカ代表として金メダルを獲得したイグダラだったが、シクサーズからナゲッツにトレードされる。
ナゲッツではポテンシャルの高い若手が多く、その年のウェスタンカンファレンス3位の57勝と大躍進だった。しかし、プレイオフでは第6シードのウォリアーズにアップセットされ1回戦で敗退する。



そのオフ、イグダラはそのウォリアーズに移籍する。移籍初年度は先発出場し、チームも51勝。プレイオフにウェスタンカンファレンス6位で進出するも1回戦でロサンゼルス・クリッパーズにゲーム7で敗退する。その年のオフにウォリアーズはスティーブ・カーをヘッドコーチに加える。


【シックスマンへ。そして、ダイナスティへ】
スティーブ・カーはイグダラをシックスマンとして起用する。ウォリアーズ2年目の2014-15シーズン、チームは大躍進を遂げる。シーズントップの67勝でNBAファイナルへ進出する。ファイナルの相手はレブロン・ジェームス率いるクリーブランド・キャバリアーズ。最初の3戦を終えて1勝2敗で危機に追い込まれたウォリアーズは第4戦から、カーはイグダラを先発に起用し、その後3連勝。悲願の優勝を経験する。ファイナルでのイグダラは平均16.6得点とレブロンに対するディフェンスで勝利に貢献しファイナルMVPを受賞する。






Andre Iguodala - Lockdown (Finals)






翌年はシーズン73勝という前人未到の大記録を達成したウォリアーズだったが、ファイナルでは残り1勝というところまで辿り着きながらキャバリアーズに敗戦し、連覇を逃した。
そのオフシーズン、ケビン・デュラントが加入したウォリアーズは圧倒的な戦力で2連覇する。3連覇のかかった2019シーズンは主力の怪我が相次ぎ、トロント・ラプターズに敗戦するものの、5年連続のファイナル出場と3回の優勝という輝かしい成績を残す。
2015年以降のファイナルではMVPはケビン・デュラントに譲ったものの、ウォリアーズの欠かせないピースとしてチームに貢献し続けた。デュラント曰く、「イグダラほど頭の良い選手はいない。彼から多くを学んだ」と語るように、数字に表れない部分で間違いなくウォリアーズに不可欠なプレイヤーであった。
しかし、19年オフのデュラント移籍をきっかけにウォリアーズは主力を放出していく。イグダラもメンフィス・グリズリーズに放出された。イグダラの功績を讃えて、ウォリアーズオーナーのジョー・レイコブは背番号9番を永久欠番にすると宣言した。


【ヒート〜再びウォリアーズ】
グリズリーズは再建中で優勝を狙うチームでプレーする事を望んだイグダラはフロントの合意のもと、独自のワークアウトを行った。2020年2月、イグダラはマイアミ・ヒートに移籍。ヒートでもオールラウンドな活躍でチームに貢献し、その年のファイナルまで駒を進める。ファイナルの相手はウォリアーズ時代の宿敵レブロン率いるロサンゼルス・レイカーズだった。レイカーズ相手に善戦するも第6戦で敗れ、4度目の優勝を逃した。


その後、2021年にウォリアーズに復帰した。その年のウォリアーズは4シーズン振りの優勝を果たす。イグダラは出場機会は少なかったものの、若手のメンターとしてチームに貢献。特にアンドリュー・ウィギンスに声をかけ続け、プレイオフでの大活躍の後押しをした。




来期はまだ契約が決まっておらず、引退の可能性もあるイグダラですが、その輝かしいキャリアは彼の献身的なプレーのおかげかもしれない。圧倒的な身体能力や得点源になれるだけのスキルがありながら、チームファーストなプレーで勝利に貢献する。彼を語る人達全てが彼の頭の良さと存在の大きさを語っている。間違いなく引退後は殿堂入りされるレジェンドプレーヤーだろう。




Andre Iguodala's Top 10 Dunks Of His Career