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選手名鑑

名前 : ラマー・オドム(Lamar・Odom)
所属 : ロサンゼルス・クリッパーズ(1999-2003)、マイアミ・ヒート(2003-04)、ロサンゼルス・レイカーズ(2004-2011)、ダラス・マーベリックス(2011-12)、ロサンゼルス・クリッパーズ(2012-2013)
出生地 : アメリカ ニューヨーク州ニューヨーク クイーンズ
生年月日 : 1979年11月6日
身長 : 208cm
体重 : 104kg
ドラフト : 1999年1巡目4位
愛称 : キャンディマン
ポジション : パワーフォワード、スモールフォワード
受賞歴 : ・NBAチャンピオン(2009,2010)
    ・NBAシックスマン賞(2011)
    ・NBAオールルーキーファーストチーム(2000)



【生い立ち】
ニューヨークのクイーンズに生まれたオドム。彼は幼少期に苦労をしている。父親はヘロイン中毒。母親は12歳の時に癌で他界し、母方の祖母に育てられる。
そんな彼は高校時代にバスケットボールで頭角を現し、パレード誌の年間最優秀選手に選ばれ、オールアメリカンファーストチームにも選出される。
そんな彼はUNLVに進学していたものの裏金が発覚し。ロードアイランド大学に転校する。
2年生でNBAドラフトにアーリーエントリーする。


【ドラフト~クリッパーズ】
1999年ドラフトでロサンゼルス・クリッパーズに1巡目4位指名される。弱小チームだったクリッパーズでエースとして活躍。1年目は平均16.6得点、7.8リバウンド、4.2アシストでオールルーキーファーストチームに選ばれる。2年目も平均17.2得点、5.2リバウンド、4.2アシストを記録した。順風満帆なキャリア送るかに思われたが、禁止薬物の使用で出場停止処分を受ける。その後、成績を落としたオドムは2003年にマイアミ・ヒートに移籍する。

Lamar Odom Clippers MIX by LONGER



【ヒート】
当時のヒートはルーキーのドウェイン・ウェイド、エディ・ジョーンズ、カロン・バトラーなどタレントが揃っており、オドム自身の復調もあり、プレイオフに進出する。初のプレイオフだったが、セミファイナルまで勝ち進むがインディアナ・ペイサーズに敗れた。ペイサーズに敗れたものの評価を取り戻すシーズンとなった。しかし、NBA史に残るビッグトレードに巻き込まれ、再びロサンゼルスに戻ることとなる。



Lamar Odom (30pts/19rebs/11asts) vs. Kings (2004)



【レイカーズでのダイナスティ】
2004年のオフにシャキール・オニールとのトレードでロサンゼルス・レイカーズにトレードされる。レイカーズはコービー・ブライアント中心のチーム作りに舵を切ったところでオドムは2番手として活躍を期待された。しかし、移籍初年度はプレイオフを逃し、その後2シーズンもプレイオフに進出するも1回戦敗退していた。ヘッドコーチにフィル・ジャクソンを迎え、オドムも2試合連続トリプルダブルを達成するなどオールラウンドに活躍していたが、コービーのワンマンチームとなっていた。



レイカーズに転機が訪れる。2007‐08シーズン途中にパウ・ガソルが加入する。勢いに乗ったレイカーズはNBAファイナルに勝ち進む。しかし、成長著しかったアンドリュー・バイナムの離脱などもあり、この年はボストン・セルティックスに敗退する。オドムはガソル加入後シックスマンとして重要な役割を担っていく。
翌シーズンも勢いそのままのレイカーズはシーズン65勝をあげ、再びファイナルに勝ち進む。この年の相手はドワイト・ハワード率いるオーランド・マジックだった。前年の敗退の悔しさから凄まじい集中力だったコービーに率いられレイカーズはマジックを破り、7年ぶりの優勝を果たす。オドムもシックスマンとして活躍した。翌2009‐2010シーズンもNBAファイナルまで勝ち進み、宿敵セルティックスと再び対戦。ゲーム7までもつれたがこのファイナルはレイカーズが勝利し、2連覇を果たす。



3連覇をかけた2010‐11シーズン、オドムはこの年もベンチからの出場で平均14.4得点、8.7リバウンド、3.0アシストをあげ、シックスマン賞を受賞する。しかし、レイカーズはプレイオフ2回戦でダラス・マーベリックスに敗退する。



【マーベリックス~クリッパーズ】
優勝を逃したレイカーズは大型トレード実行し、チームの強化を図る。クリス・ポール獲得のための三角トレードでオドムの移籍が成立したと報道されたのだった。当時、ポールの所属するニューオリンズ・ホーネッツは経営難でリーグが所有しており、リーグのパワーバランスを鑑みてトレードを拒否した。しかし、一連の報道を知ったオドムはトレード要求。マーベリックスにトレードされた。ここから彼のキャリアが下降していくこととなる。マーベリックスでの成績は平均6.6得点、4.2リバウンドと期待外れに終わり、2012年4月に契約を解除されてしまう。
その後、クリッパーズに復帰するもののシックスマン賞を受賞したころのインパクトを残せず、2012‐13シーズンを最後にNBAから離れることとなった。



Lamar Odom 2010-11 TOP 10 Plays

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